絵画製作 −曽根靖雅先生の哲学−

 絵画製作を長年にわたって指導して下さっていた故 曽根先生、「絵画製作」活動の底に厳然と流れている「哲学」があります。「絵画製作」は、この哲学が基本になっています。
○幼児は「遊び」の形で「生活」し、即「学習」して、自分で「伸びる」力を自分で「伸ばす」能力を持っている。その力・能力を鍛えるのが教育である。

 最近、大人の言うとおりに行動してきた、いわゆる「よい子」に、登校拒否や引きこもりに陥ってしまうパターンが増えていると聞きます。言われた通りにし続けていた子どもが成長し、ある時、そうじゃないことに気付いたとき、「自分は悪くない。うまくいかないのは、周りの大人が悪い」と人のせいにする人間になってしまうのです。その思いがあまりにも強くなったときに引き起こされる事件については、みなさんご存知の通りです。
 また、子どもの歩んでいく道の小さな石ころを取り除き続けると、大きな岩にぶち当たったときに、なすすべもありません。小さな石ころや障害物に出会ったときに、対処する体験を子ども自身が何度も繰り返していると、大きな岩に対応するための知恵も湧いてくるのでしょう。
 「自分のすることは自分で決めていく」ことは、絵画製作活動において、一番の重要ポイントにしていることです。「自分の人生は自分で決めていく」ことにつながっていくので、とても大切なところです。自分の人生は自分自身の足で歩んでいく、知恵を生み出していける、自分のことは自分で責任をもつことのできる人間になってほしいと願っています。当園の「絵画製作」は、その土台をつくっているのです。





         家庭生活の中から価値観を身につける

                                               「親学」テキストより 
  
 家庭生活、社会生活、いつもすべてが順風満帆ではありません。問題が起こったり、辛く悲しい経験をしたり、大きな選択を迫られる場面など、さまざまな逆境がめぐってきます。そのとき心の支えになり、判断や意志決定の基準になるもの、それがその家庭における価値観です。
 子どもは、ふだんの家庭生活の中から価値観を身につけていきます。子どもの脳の成長は著しく、幼児期にはすでに社会における秩序感覚、つまり善悪の判断をもちはじめます。
 それだけに、この時期におけるしつけが重要な意味を持ちます。幼児期の子どもにとって、一緒に生活する親は、最も身近な手本であり教師です。親は自らの行動やしつけを通して、我が子が健全な価値観を身につけるよう導く必要があります。
 家庭の中で抑えておきたい健全な価値観として、次のようなものがあげられます。

 ・他者を尊重する=自分以外の人間の欲求や信念、感情を思いやる
 ・親切=周りの人間に対して、愛情や思いやりを表現する
 ・健全な生活習慣=自分や家族の体を大切にする
 ・責任感=決められたことをしっかりとやり遂げる
 ・誠実=人の信用を得て、公正で信頼に値する存在になる
 ・勇気=問題に直面したとき、勇気を持って自分の価値観を守り、断固とした態度をとることができる
 ・自律=自分をコントロールし、自分の技能や才能を伸ばし目標を達成する
 ・奉仕=人を助け、人のために行動する
 ・家庭への協力=しっかりと支え合う家庭づくりに協力する

また、食事や睡眠といった基本的生活習慣を身につけさせるのも、家庭での幼児期からの教育が重要です。この時期に、よき生活習慣を確立することで、子どもは正しい生体リズムを獲得し、心と体の健康を維持できるようになるのです。



                「育てる」とは   

                                           角田春高先生の著書より  
   
 心身の発達を促すには、子どもにどのように接したらよいか、特に、心の発達を促す関わり方について述べます。
 人間は心と体から成り立っています。体が成長・維持するためには、「食べ物」を食べる必要があります。その食べ物は、大きく分けると、「米、肉、魚、野菜など」です。これらの食べ物には、栄養素として、「炭水化物、脂肪、タンパク質など」が含まれています。すなわち、食べ物を通して、様々の栄養素をバランスよくとり入れて、初めて体は成長・維持されます。
 これに対して、心が発達・維持するためには、「やりとり」が必要です。「食べ物」に相当する「やりとり」は、具体的には「代弁と自己表現」です。それには栄養素として「感情・行動・意志」が含まれています。すなわち「感情・行動・意志」を含む「代弁と自己表現」という「やりとり」をすることで、心が発達し維持されていきます。
 「代弁」とは、親や保育者が子どもの態度や行動を見て、子どもの「感情・行動・意志」を子どもに言ってみることです。それを聞き分けて、子どもはうなずいたり、首を振ったり、首を傾けたりして返事をします。親や保育者は子どもの反応を見て、子どもを理解し、次の言葉をかけていくのです。
まだしゃべることのできない幼児でも、その幼児の態度や素振りを見てその気持ちを「代弁」すると、幼児はそれを聞き分けて自分の気持ちを返事します。
 「自己表現」ができるようになるには、親や保育者が子どもとの関わりの中で、自分の心に浮かんでくる言葉をできるだけ的確に述べてあげることです。親や保育者に代弁してもらうことで相手の気持ちを知ったり、自分がどのように思われているのかなどを理解するようになり、子どもは自分との関係で相手の気持ち、すなわち「感情・行動・意志」を知ることになります。




            存在を喜ぶ言葉がけ 

南修治先生の著書より抜粋 

 乳幼児期の子どもは、誉め言葉によってどんどん伸びていく。誉めることはなくてはならない子育ての技法である。しかし一方で、誉めることによってかき乱される人生も存在していることも事実である。
 誉められる時は、親の期待に応えた時だけに限られている場合、子どもは愛されたいために親の顔色を伺って「よい子」を演じて生きることを選んでしまうこともある。親の期待に応えられるうちはよいかもしれないが、期待に応えられなくなった時に疲れ切ってしまう。多くの不登校の子ども達に関わってきて、このパターンが何と多いことであろうか、誉め言葉が重石になることも時にはある。
 それではどうすればいいのか、ここが肝心である。親の期待に応えた時、もちろん誉めることに越したことはない。大切なのは、期待に応えられなかった時にどのような言葉がけができるのかということである。そのことが誉め言葉を重石にすることなく、力に変えていく。
 期待に応えられなかった時、親は存在を喜ぶ言葉がけを心掛けてほしい。何かができたかできないかの結果ではなく、「そこにいるあなたが大好き」というメッセージを、失敗した時にこそ届けるのである。ある時は成功し、ある時は失敗する。それでも、どんな時でも自分を受け容れてくれる存在によって、人はぬくもりを得ていくのである。失敗にうちひしがれている子どもに、失敗の原因を考えさせる前に「よくばんがったね」「うまくいかなかったかもしれないけれどお母さんはうれしいよ」と、そこにあなたが生きていることが親にとって喜びであるという、原点に帰った言葉がけをするのだ。この言葉がどれだけ子どもに勇気を与えることになるだろうか。

否定的 肯定的 否定的 肯定的
だらしがない こだわりが少ない 怒りっぽい 元気がいい
意地悪 自分に厳しい 口べた 聞き上手
支配的 リーダーシップがある 落ち着きがない フットワークがいい
わがまま 自分を大切にする 依存的 人を信頼している
せっかち スピーディ がまんできない 情熱家
元気がない おしとやか 内気 感受性豊か
人見知りする 人を見る目がある かわいげがない しっかりしている
生意気 自己主張がある 変なやつ ユニーク・個性的
いばっている 指導力がある 忘れっぽい おおらか
頑固 意志強固 気が弱い 配慮深い
気分屋 感性豊か おしゃべり ほがらか
集中力がない 多方面での活躍 愛がない 愛が深い
消極的 じっくり派 子どもっぽい かわいらしい
優柔不断 柔軟性がある 引っ込み思案 奥ゆかしい




           やさしさと厳しさ 

親が子どもに対して、どんな風に関わっていくか、どのようなしつけをしていくかなどは、ご家庭によって様々な価値観があります。しかし、どのような家庭の方針があるにしても、子供の人格形成の基礎は、幼少期の家庭教育が大きく影響することには言うまでもないことでしょう。
 「しっかり抱いて、そっとおろして、歩かせる」という日本古来の格言がありますが、これは子供の発達段階に応じた親の関わり方の本質をついています。「ゲーム脳」という言葉もでてきたように、最近は脳科学が随分と発達し、脳のしくみや働きについて、様々なことがわかってきています。子どもの発達は、すなわち脳の発達と言えます。運動や言語、感情など、すべて脳の発達が鍵を握っているいるからです。これからの時代、解明されてきた科学的事実を十分に踏まえながら、成長に必要な適切な関わりをもって人格形成を図っていく必要があります。
 親学の中では「母性的関わり」と「父性的関わり」という捉え方があります。
「しっかり抱いて」…子どもを抱きしめ、子どもの存在をしっかりと受け容れてあげる、これは母性的な関わり方ということができます。
「そっとおろして、歩かせる」…また成長していきますと、子ども達もいずれ独立し、一人前の人間として社会に出て行くためには、包み込まれた暖かさとともに、ダメなものはダメとして、時には壁となって子どもの前に厳しく立ちはだかる厳しさも必要です。これは父性的な関わり方といえます。
 誤解されやすいのですが、これは、お母さんらしく、お父さんらしくという役割分担の概念とは違います。男性にも母性的な関わりがなければなりませんし、女性にも父性的な関わりが必要なこともあるでしょう。いずれにしても、子ども達にとって、やさしさと厳しさの両方が必要なのです。


     

              「ほめノート」

                                          鵜瀬けい子(宇都宮市在住)
                              (読売新聞より抜粋)   こども未来財団賞 受賞

我が家には、八歳の兄を先頭に、四人の兄弟がいます。ちょっと特別なことは、下の三人が「三つ子」であることです。
私の母と義父母は、既に他界していましたので「三つ子」の子育ては、心も体も休まる時がないほどに大変なものでした。
常に長男の不憫さを感じてはいても、そのまま時を過ごしてしまいました。
三つ子の子育ては躾も何もなく、ただとにかく「命を守る」ことの育児でした。
ガラスを壊し、割れたガラスの穴に手を突っ込む。灯油で遊ぶ。ストーブに毛布を掛けて火事寸前。ベランダに適当な足場を持っていって、乗り越える。二階の窓から脱出を試みて、窓枠にしがみつき、発見が遅ければ落下。横断歩道を赤で渡り、こけて道路のまん中で泣き伏す。自転車での暴走。
私が親としてすべきことは、この子たちの命を守ることと肝に銘じても、これだけの事件が起こっていたわけです。
それから四年。ようやく、命を落とす危険が少なくなってきて、いざ長男と向き合った時、長男は既に心に傷を負っていたのです。
それでも「今からやり直そう」「ほめることから始めよう」と開き直り、ほめようとしたら、ほめる材料が一つとして思い浮かばなかったのです。
私は愕然としてしまいました。
私は、長男を今まで何もほめてなかったんだ。我慢をさせ、あげむに怒ってばかり。
三つ子が生まれてから、ずっと耐えてきたのは、私だけではなく長男も同じだったんだ、とようやく気づきました。
心も、手も掛けてなかったけど、目も掛けてないほどだったのです。
それでも毎日、過去を振り返って、長所探しをしてみました。やっぱり、ありふれた「優しい子」くらいしか思いつかないのです。

そうして、毎日悶々としているうちに、ある日、ふっと思い出したのは、長男が、小学校一年の時に出された、夏休みの宿題「朝顔の観察」でした。これは、親の私のほうが楽しくなって真剣に観察をしてしました。
観察の中で、朝顔は一日草で、ツルも、つぼみも左巻きだと初めて知りました。毎年見ている花なのに、実は見ているようで見ていなかったのです。その時学んだことは「毎日の観察で、新しい発見がある」ということ。
「そうだ! 観察だ! 今から毎日こどもの観察をして、良い所を見つけてみよう」
そして、朝から子どもたち『エライ!』の行動や言語を、頭に記憶しておいて、その夜、記憶をノートに書き写しました。
それは、ほんのちょっとのことでOK。昨日できなくて今日できたことでOK。なんでもOK。

…長男編…
大きな声で「行ってきます」が言えて、えらい!
学校や、外から帰ってきた時に、大きな声で「ただいま」が言えて、えらい!
…次男編…
みんなの食器を片付けて、えらい!
泣いている弟におもちゃを貸してあげられて、えらい!
…長女編…
食事のお手伝いをしてくれて、えらい!
洋服をたためて えらい!
…三男編…
靴をそろえたのが えらい!
早起きができて えらい!


などなど、毎日毎日ノートに書いていたら、良いところが、たくさん、あるある。
ある夜、『エライ!』の記憶を声に出してノートに書いていたら、見る見る子どもの顔が、笑顔になっていくのです。たくさんほめてもらえたのが嬉しかったようです。長男は、ほめたことを次の日も次の日も続けられるようになりました。
毎日怒ってばかりの私でしたが、長所を書いているうちに、ほめる材料がどんどん増えてきて『あら? うちの子どもたちって、なんか、とっても良い子みたいじゃない?』と思えるようになったのです。
数日後、この話を初めて聞いた主人が「僕の『エライ!』は?」と言ったので、ちょっと苦労(?)して考え「今日も、たくさんお仕事をしてきてくれてえらい!」と言ってノートに書いてみました。
そしたら、三男が「ママの『エライ!』は?」と聞くので「今日、家中をきれいにしたママはえらい!」と自分の分も、書きました。
その時、自分の長所を書くって、なんかほめられているみたいで、気持ちいいな!と思い、これが日課となりました。
子どもたちは、自主的に、いろいろなことをするようになってきました。加えて、私の怒る回数が減ってきたのは、良い副作用。
子どもをほめることはもちろん、自分自身もほめ、長所を見つけていくことで、とても幸せな気持ちになれました。また、長男も、少しずつ良い笑顔を見せてくれるようになりました。
このノートを『ほめノート』と命名。
これからも家族の幸せのために、ずっと書き続けていこうと思っています。


                        喜びの連鎖
   
                                        山田純二先生の講演会より  
   
 これを知らない子どもは、まちがいなく不幸になる…とのことで、先日の育英会総会で講演していただいた山田純二先生は以下のことを紹介してくださいました。

 ☆人は見ていなくても、神様は見ている。
      …神様がいるとかいないとかではなく、見張られていると良い子でいるが、誰も見ていないところでこっそり
        悪いことをしたり、人にいじわるしたりする子どものしないために必要でしょう。

    *うそをつかない。だまさない。 *弱い者をいじめない。 *人に迷惑をかけない。 *人の物を盗まない

 ☆世のため人のために働く  
 ☆相手の気持ちを考える。

大人がしっかりと、このような当たり前のことを伝えていくのは、子どもに関わっている大人の使命なのかもしれません。これからの社会を担っていく子ども達の心の持ち方が違ってくるでしょう。ちいさな積み重ねが、世の中が大きく変わっていく第一歩になるのでしょう。
 また、「教えて、やらせて、できた分を誉める」と、大人とこどもたちの間で喜びの連鎖が起こります。幸せな人生を拓く3つの教えです。

 一、人の役に立つことの喜び ・あなたがやってくれるから、本当に助かるわ。ありがとう。
         ・これは、○○ちゃんでないとできないことだね。さすがだね。
 一、問題や困難を解決する喜び ・えっ。こんな難しいの本当にやれちゃったの?すごい!
           ・これは、ちょっと難しいから無理かな?・・・・すごい!
 一、出来なかったことが出来るようになる喜び  ・あれ?この間はできなかったのに・・・・。すごいね。

大人の期待に応えるいい子を喜ぶのではなく、大人の期待と違ってもできたことに対して一緒に「喜ぶ余裕」が必要ですね。




                    起こることには意味がある 
  
                                                 高橋真由美 
  
一時期「自己責任」という言葉を世間でよく耳にしましたが、人は人、自分は自分と突き放したような意味合いではなく、子ども達に、本当の意味での「自己責任」のとれる大人になってほしいと私は思っています。人のせいにしない…ということです。誤解を恐れずに言えば「起こることにはすべて意味がある。それは大きな愛の中で起こっている」ということを、一人一人が自覚を持って、自分の人生に責任を持って生きていく人になってほしいということです。
 例えば何か子ども同士でトラブルが起こるとします。双方に言い分や理由はある場合がほとんどです。(ごくごくたまに、やつあたりのような事もありますが、ほんとうにまれなことです。またやつあたりにも、そのトラブルに関することではないかもしれませんが、必ず理由はあります。)私たち保育者は、両方のお話を丁寧に聞いて、ことの把握に努めるようにしています。発端はおもちゃをとられた…などの正当な理由であったとしても、おもちゃを貸さなかったのかもしれないし、順番を守らなかったのかもしれない等の状況をひもといて、双方に自分とお友だちが取った行動がどういう意味をなすのか、相手がどういう気持ちになるのかを伝えて、お互い納得し、最終的にはお互いに思いやれるようになってくれるといいなと願いながらお話をじっくり聞いています。
 もし、八つ当たりやとばっちりで巻き込まれたケンカだとしても、なぜ自分が巻き込まれることになったのか、今でなくても以前に何かがなかったか…ということを考えてみれもらえるようになってもらいたいと思います。知らず知らずにお友だちを傷つけていることがあるかもしれない…という可能性を大人が一緒に寄り添って考えたいと思います。もちろんした側、された側の両方に…です。
 絶対に人が悪いと思える状況の中でも、人に自分の想いを伝える勇気を持つために起こってくれている出来事なのかもしれません。人のせいにして、人が悪い…だけだと、せっかくの学ぶチャンスを逃してしまいます。勇気を一度持って行動すれば、自信がつきます。人のせいにしていては、もったいないですよね。もちろん相手方にも相手方の学ぶべき課題はあります。押しつけずに愛をもって学んで行けるように、自らもしっかりと自らの課題にとりくんでいくことです。
 みんなが人のせいにしない世の中が、思いやりのある素敵な人がいっぱいの世界につながるのだと思います。
 


                   大人に耳を傾けてもらえることの大切さ
                                                高橋真由美
   
 「今日はどんな遊びをしたの?」「うれしかったことがあった?」と、大人から耳を傾けてもらい、子どもの「あのね、あのね」にうなずいてもらうような時間を、子どもは持つことができているでしょうか。「あとで」と伝えたときに、必ず「あとで」寄り添ってあげているでしょうか。子ども自身が表現する事に寄り添って、お話を聞いてもらうことで、子どもは自分自身の内なる感情に出会うことができるようになります。一日を終える時に、そんなゆったりとした親子の時間を持つことができるといいですね。
 また、「○○できた」「△△がわかる」というような目に見える成果に対して誉めるのではなく、感情や気持ちを配慮することによって得られる、「心」の成長を一番に考えてあげたいものです。子どもの成長はそれぞれです。得手不得手もその子どもによって全くちがいます。全てのことが「できる」ことに基準をおかないように心掛けたいものです。子どもの成長を「やっとできるようになった」「できて当然…」と判断してしまうと、その子自身が頑張って乗り越えたことを一緒に喜んでもらいたくても、頑張った子どもは全く浮かばれません。気持ちに寄り添ってもらえなかったからです。もし、人と比べて出来なかったことがあったとしても、その子自身は頑張って、前よりも成長し達成できたのだから、自信を持たせてあげる為にも、できたことより頑張ったという「気持ち」を認めて、寄り添ってあげてほしいと思います。
 また「叱る」という行為ですが、感情にまかせて「怒」ってしまうことはないでしょうか。「叱る」ことと「怒る」ことは違います。同じことをしても、時と場合によっては怒ったり怒らなかったりすると、子どもは混乱してしまいます。しっかりとぶれない芯を持って叱ることで、「このことだけはしっかりと伝えたい!」という大人の願いが伝わります。子どものために大人は、誉めることや叱ることに対しても、自分自身に対しても、一貫性を持つ必要があります。
 一貫性のある芯の強さと子どもの言葉に寄り添えるだけの度量と柔軟さを持ちたいと、私たち保育者も常に心掛けているところです。なかなか難しいことですが、子ども達の発するメッセージをしっかりと受け止めて、大人も一緒に成長しなければならないと、日々考えさせらるところです。




                      9つのお手伝い効果  
                             辰巳渚著「子どもを伸ばすお手伝い」より抜粋

 お手伝いをするようになると、こんなふうに子どもは変わる…ということで、この夏休みを機会にお家の中での担当や役割を決めて、ぜひお手伝いを習慣づけてみてください。

1.気がつく子になる…掃除を通して、汚さないようにすればいいことに気が付き、人の気持ちにたって、思いやれるようになる。

2.サッと動ける子になる…汚れているなと気が付いたときにサッと動ける子になる。

3.生活技術の基本が頭でなく、身体で覚えられる…繰り返すことによって、無意識に身体が動くようになる。

4.生きることに前向きな子になる…食べる喜び、きれいにすることの気持ちよさなどを通して、充実感を感じ、生きることに積極的になる。

5.ものを大切にする…手入れをする、交換をするなど、手を動かしていると「使い捨て」ではわからない、暮らしの豊かさを感じられるようになる。

6.人ときちんと向かい合える子になる…お茶を運んだり、回覧板をまわすなどのお手伝いを通して、家族以外との人間関係の作り方を学ぶことができる。

7.コミュニケーションができる子になる…お手伝いを通して、親子の会話はもちろん、近所の人とのおつきあいもでてきて、コミュニケーション能力が身に付く。

8.大人へと成長させる…例えば留守番は家のことに気を配って、きちんとしなきゃという緊張感を強いられる。これが子どもを大きく成長させる。

9.家族の一員としての自覚が育つ…自分の役目をもらい、きちんとこなすことで使命感も芽生え、家族の一員たる自覚もできる。



                   知られざる歴史の中の日本人 
                                      歴史学者・占部賢志先生の講演より  

1980年に起こった「イランイラク戦争」開戦前に、イランへ飛ぶ航空機に対し、特定の期日を過ぎた場合には問答無用に飛行機を爆破すると、サダム・フセイン大統領が宣言した。イランに住む外国人は、それぞれの国の軍隊による脱出が計られた。しかし、当時日本では、海外へ在留する日本人への緊急脱出に関する自衛隊の法律が無く、他国に応援を要請したが断られ、また日本航空チャーター機の派遣も時間的に間に合わないことを理由に実現しなかった。そのため、在イラン日本人は脱出方法が見つからずに生命の危機に瀕したが、2機のトルコ飛行機がチャーターされて危機を脱した…という出来事があった。
なぜ、トルコが危険にも関わらず、日本人自身すら飛ばすことのできなかった飛行機を、イラン在住の日本人の為に飛行機をチャーターしてくれたのか。それは何の打算でもなく、ただ日本人に対する過去の出来事の恩返しだったという。
1890年に日本に訪れたエルトゥルル号という船に乗ったトルコ使節団が台風で遭難し、和歌山県の大島という場所で沈没してしまった。しかし、奇跡とも言える救出劇、地元民の懸命の努力で生存者が救助された。「先ず生きた人を救え!海水で血を洗い、兵児帯で包帯をし、泣くもの、呻くものを背負って二百尺の断崖をよじのぼるものは無我夢中である」(救出者の回想談)
この時、島に赴任していた学校の先生が不眠不休で病院とのやりとりなどを行っていたなどの理由で、過労で亡くなった他は、生きて救出されたトルコ人は手厚い看護を受け、69名全員生存となったそうだ。その後日本の船で無事トルコに帰国したという。
トルコでは、エルトゥルル号遭難は歴史教科書にも掲載され、子どもでさえ知らない者はいないほど、歴史上重要な出来事なのだそうだ。過去の日本人の無償の愛、恩を受けたことは決して忘れなかったトルコ人の思いが、90年という時を経て多くの日本人の命を救った出来事となった。
「情けは人のためならず」、愛はめぐりめぐっているもの。また私たちも、いろんな人たちのお陰で生きている。そんな感謝の思いを忘れずに過ごしたい。


                        当園の絵画製作 
                                               高橋真由美  

 五字ヶ丘幼稚園では開園以来40年あまり、元城南女子短期大学教授の故 曾根靖雅先生にご指導をいただいて『絵画製作』を続けて参りました。絵画製作で子ども達は「メトーデ表」というものを首からぶら下げて活動に励みます。保育参観の時は、保護者の方にも項目に○を付けてもらいます。
 曾根先生は、ある先生から「君のやっていることは、子どもに何を求め、何を身につけているのか」問われたことをきっかけに、学習メトーデの作成を手がけられたとのこと。そしてそれは今日も、絵画製作における“宝物”として、メトーデを使わせていただいています。改めてメトーデの項目を眺めてみますと、私たち保育者が、子ども達にこんな事を身につけてもらいたいと切に願う事柄ばかりが挙がっています。メトーデには、教育者としての願いがたくさん込められているのです。
 絵画製作でできあがった作品については、つくりっぱなし、描きっぱなしにせず、作者である子どもの「お話」を心を込めて、その考えに尊敬の気持ちをもってきくことが大切です。「お話」を聞くことは、体験の事実や描いた対象だけでなく、内面の心を聞くことになります。子どもがどういうきっかけでその主題を見つけたかを聞き取り、メトーデに沿って「自分ですることを見つけられたね」「誰も描いたことのないお話で描けたね」「一生懸命に最後まで頑張れたね」など、子どもを正しい方向付けで(メトーデの項目に沿って)、心を込めて誉めることは、つまりは生活全体への興味関心・好奇心=生きる事への意欲へとつながっていきます。保育参観の時は、保護者の方も項目に沿って○を付けてあげてくださいね。
 子ども達はいずれ大人になり、社会に出ていきます。その時に何ができるか、どんな創造的なことができるかは、人間の生き甲斐にも通じることです。言われなければできなかったり、人のまねしかできないのでは寂しいことです。子ども達が自分自身の体験や思いの丈を表現する満足感、最後までやり遂げる達成感を持つことで、自信を付けることができるのでしょう。


                         日本式育児の要諦    

                            幼児教育40年、潮谷愛一先生のインタビューより 

 日本の伝統的育児の基本は、添い寝、おんぶ、抱っこ、オッパイです。しかし、オッパイを除いたあとの3つが昭和41年以降、全部失われてしまった。母子手帳と一緒に配布される副読本で、「赤ちゃんは初めから一人で寝かせましょう」「添い寝はよくありません。抱っこ、おんぶはほどほどに。抱きぐせがついて苦労します」などととんでもないことが書かれてあったんです。
 手をかけず、甘やかさずに育てることが一見、独立心の豊かな子を生み出すと思われがちですが、結果は逆です。乳幼児期のお母さんの添い寝、おんぶ、抱っここそ、人間の情緒安定の源であり、この時期には十分な甘えと依存体験が必要なんです。
 子どもは、お母さんの愛に満たされてこそ穏やかな心になり、周囲に関心を向け、集団生活に意欲的に入っていく力が湧くのです。それが社会の荒波に打ち勝つ子にする子育てなのです。抱っこもおんぶも添い寝もしてもらえない子に、どうして心の安定が得られるでしょうか。最近、子どもがひ弱なのは親が甘いからだなどと体罰信仰みたいな風潮が広まっていますが、それは違います。ひ弱なのは十分な甘えが得られないで、自信が持てないからなんですね。
 それにいま、目立ちたがりの子どもが多いでしょう。あれも自分は認められていない、という記憶がしっかりインプットされているからです。それで認めてくれ、認めてくれ、とみんな浮き足立つんですね。本当に愛情に飢えた子ども達が多くなったと思います。
 繰り返すようですが、生まれたときのお母さんと子どもの優しい関わり。これがすべてを決定すると思います。そのとき、お母さんが子どもにどんな利発なことを言っても意味がないのです。どれだけ、子どもに本当の愛情を注げるか、安心した気持ちにさせてあげられるか、ということなのです。




                      体育ローテーションで元気!
                                                   高橋真由美  

 先日、埼玉県にある総幼研加盟園の見学に行って来ました。この園は、東邦大学医学部の有田秀穂教授と共に、国内初のセロトニンに関する共同研究を行っています。セロトニンとは脳内ホルモンの一種で、適度に分泌されると元気で平常心を保ち、幸せな気分になれるが、分泌されないと「キレる」状態やパニック障害、鬱病などを引き起こすと言われています。
 毎朝行われる体育ローテーション、朝日をあびながらこのリズム運動を行うことによって、セロトニンの分泌が促されるということが、科学的に証明されたのです。昨年の研究では、体育ローテーションによってどの園児からもセロトニンの分泌が採尿の分析結果で確認されたそうですが、現代の20才の大学生の平均分泌量が150ナノグラムに対し、年中児の平均は約220ナノグラム、年長児に至っては330ナノグラムと、きわめて多いことが分かったそうです。加齢するにしたがって、分泌量が増加することや、増加量が著しい子どもの人数も増えるということも興味深く思いました。3年間の積み重ねによるものもあるでしょうし、がんばろうと思う意識や意欲などの精神的な要素もセロトニン分泌に関わるのではということで、これからの研究成果が待たれるところです。
 6才の就学前までに90%近く脳が発達するといわれていうことに呼応してなのか、更に興味深いことに、年長児に関しては月を増す毎に増加が安定してくることもわかったそうです。増加率は年長児で約80%、年中児で約48%、年少児で約41%というデータもあります。
 また、長時間の山登り遠足に出かけた結果、セロトニン分泌量は増えなかったとのことなので、セロトニンは疲労が蓄積すると分泌量が減少するということも分かり、20分前後の適度な運動量がとても有効であるというデータも集められているところだそうです。
 いずれにしても、日頃のご家庭での規則正しい生活に加え、園での子どもの体内リズムに沿った活動が、さらに子ども達の元気をさらにパワーアップしてくれるということですね。

        親学…幼児期の子どもをもつ親へのアドバイス〜社会活動のモデルになる〜

職員の研修会にて「親学」について学んでいます。「親学アドバイザー」としてのスキルを得るべく学んでいるわけですが、テキストの内容を少しご紹介させていただきたいと思います。私たち職員も、親御さん同様、子ども達の目の前にいる「大人」です。親学の基本姿勢は「主体変容」、まず大人が変わること。子ども達と共に、保護者の方も一緒に、私たちも保育者として常に成長していきたいと思います。
 この時期に、親がどんな日常生活を送っているかということが、子どもの「原初的価値観」の形成に関わってきます。原初的価値観とは、例えば「話を聞くときに相手を見る」「あいさつをしない人に不快感を覚える」といった無意識の反応のことで、人間関係の持ち方などの社会的行動の基礎となるものです。
 幼児期の子どもは、なんでも大人の真似をします。大人の真似をすることを通して、自分の存在を確かめ、原初的価値観を形づくっているのです。この時期の子どもには、大人のやっていることがすべて正しくて、大人から叱られることは悪いことと感じる特性があります。したがって、子どもをしつけ、子どもに良き原初的価値観をもたせようとするならば、大人が行動によって示すことが何よりも大切なのです。
 子どもに身につけてもらいたいと思う行動を、子どもの前で日常的に進めることがしつけにつながります。毎日のあいさつ、お礼をいうこと、食事のマナー、人間関係の持ち方などすべてにわたって、親がしていることはみな善いことであり、親がしていないことはよくないことかもしれないと子どもは思っています。時に大人は、自分の行動が子どもの心にこれほど深く影響を及ぼしているとは気付かないまま、しつけようとしがちです。
 例えば悪いことをした我が子を大きな声で怒鳴ったとしましょう。子どもは一方で自己イメージを悪くします。また一方で、大きな声で他人を怒鳴ることによって、他人を自分の支配下における、ということを学んでしまうのです。また、「ウソをいってはいけませんよ」と子どもにいいつつ、親が我が子の前で言っていることと反対のことをしていると、「ウソはいわない」という本当の意味は伝わりません。親は、常に子どもの社会的活動のモデルとなっていることを意識していなければなりません。



         親学…幼児期の子どもをもつ親へのアドバイスA 〜ルールを認識・思いやり〜

 3才になると自己意識がはっきりしてきます。親の指示に逆らって「私は○○する」と自己主張し始めます。このことを「反抗期」と呼ぶ人もいますが、自己意識を強く持ち始めた成長の証です。そんな意識を持ち始めた子どもは、親に認めてもらいたいと感じたときに自己主張をします。この時期の子どもはダダをこねる、大きな声で泣くなど、感情を表出しながら親に主張してくるのです。どう対応すればいいのかわからないと悩む親も少なくないでしょう。
 このような場合は、親のほうまで感情的にならないことです。言葉で冷静に説明するようにしましょう。よいことと悪いことの基準がはっきりしているなら、説明することができるはずです。
 どんなに感情を出しても、自分の欲求が通じないことがわかると、子どもはそこで、他人のことや社会(家庭)のルールを意識するようになります。これが「集団性」獲得であり、秩序感覚の獲得なのです。感情で通じないならば、子どもは言葉で自分の意思を明らかにしようとします。言葉で伝えていくことこそが集団の中で生きていくために必要な技術なのです。集団の中では自分の欲求が通らないことがあるということ、そして集団には全体的なルールがあるということなど、特に親との関わりの中で何でも思い通りにならないという小さな体験の積み重ねから得ていくものなのです。
 また、3才前後から、一人遊び中心だった子どもが、他の子ども達と遊べるようになります。だからこそ、この幼児期に、集団の中にいて自分の働きかけによって他人がどんな気持ちになるのかを教えていくことが大切です。そうすることで、思いやりの気持ちをはぐくまれます。
 自己中心的な心の持ち方から脱却し、集団の中の自分を意識しはじめるとともに、他人との関係性を学ぶ時期です。生命は自分だけのものではなく、父母や祖父母から伝えられてきたのです。草木や動物などの自分をとりまく自然も存在しています。こうした“たて”と“よこ”の生命のつながりに気付かせることも必要です。自然に連れ出し、親子で一緒に遊ぶのは、生命の大切さを理解させる良い機会となるでしょう。
 近年、脳科学に関する研究が進んでいます。親学とは「子どもをどう育てていくか」ではなく、心や脳の発達という科学的事実を踏まえながら、子どもの発達段階に応じて、子どもの脳の発達を保証するために必要なサポートとは何かという視点から、子どもの人格形成を図っていくためのものなのです。



                       子どもにとっての「あそび」   
                                                高橋真由美

 子どもたちにとって、我を忘れて没頭できるすべての活動は「あそび」です。させられている、教えられている、覚えさせられている活動は「あそび」ではありません。大人が遊びだと思うこと、例えば外遊びの時間に鬼ごっこなど、みんなで力いっぱい遊んでいるように見えても、「あなたは○○してね」「○○してはいけない」などの指示が入り、子どもがさせられているように感じるのであれば、すでに「あそび」ではありません。ここでルールを守ることと混同しがちですが、ルールを守りながらもその中で主体的に遊ぶことと、教え込まれてそのとおりさせられたり指示を守らされることは全く違うことです。
 また、大人が考える勉強のように見える知的活動、例えば本園で行っている日課活動や体育ローテーションなども、子どもが自ら進んで目を輝かせて参加するのであれば、これは「あそび」なのです。日課活動は、決して言わせたり、覚えさせたりすることはしません。それが目的ではありません。みんなが楽しく参加しやすい雰囲気や環境をいかに整えることができるか、しなければいけないことではなく進んで没頭できるものへといかにサポートできるかが、大切なことです。
 絵画製作も遊びの最たるものです。作品をつくることが目的ではなく、思い切り材料を使い、イメージの中で没頭して遊んだ結果が、あの素晴らしい作品になるだけのことです。絵本を読んでもらい、イメージに没頭できるのも大切な「あそび」です。
 幼児期に、代価や見返りのある世界と、見返りを求めない我を忘れるほど夢中で没頭できる世界、この両方の世界を存分に体験しなければなりません。没頭できる「あそび」ほど、子どもの感性を育み、豊かな心を育てるものはありません。活動そのものが大切なのではなく、活動に向かう動機こそ大切です。見返りなど考えず夢中で没頭できる環境を整えることが、幼児期にはとても大切なのです。